保育とは③ ~保育の現場で見た「生きる力」を育むということ~

保育の現場で見た、「生きる力」を育むことへの実践

「生きる力」を育てることを軸としている保育園の現場を見て自分が率直に感じたこと。

それは、

 保育士さんがギリギリまで手や口を出さない。

ということ。

では、それはどういうことか。

以下はある現場で自分が見た光景です。

ある保育園に訪問した時、ちょうど1~2歳児が近くの公園にお散歩に行く時間だったので自分も同行しました。

ただ、1~2歳児なので、みんなヨチヨチ歩き。何をするにしても危なっかしい年齢です。

そして、公園についくと子どもたちは各々、遊び始めました。

ある子達は複数人でおしゃべりたり、ある子は池をずっと見たり、ある子は花を集めたり。

そんな中、ふと別の方を見ると、1mくらいのちょっと急で小高い丘の上に、まだ足元がおぼつかない子が登っていました。

自分は危ない!と思ったのですが、先生は特に降ろしたりすることもなく、何もしません。

気付いていないわけではなく、気付いている上で何もしていないのです。

自分の感覚では、こういう時は先生が子どもに真っ先に駆け寄って「危ないから降りなさい!」と、嫌がる子どもを無理やり抱えて降ろすイメージがありました。

しかし、「生きる力」を育てることを大切にしている保育士の方は動きません。

それはなぜか。

今、ここで手を出してしまうと、この子どもは将来、取り返しのつかない大きな怪我をすることになるからです。

どういうことかというと、

『子どもの頃に自分で沢山転んで、自分の体で転び方を学んでいる子は、小学校以降で大きな怪我をしなくなる。しかし、親や保育士がすぐに手を出して転び方を学んでいない子は、小学校以降(周りには親や先生など事前に助けてくれる人がいないので)初めて転んだ時に手をついて骨折をしてしまうケースが多い。』

というのを聞いて、なるほどと思いました。

常に手や口を出して助けていた子どもは、自分の限界や、何をしたら危なくて、その結果どうなるのかが分からないまま成長します。
そして、正しい体の使い方を覚えないまま、体(身体能力)だけは成長していき(すなわち、小さい頃以上に無茶なことができるようになり)、ある時、自分の限界以上のことをして大怪我をする。
(治る怪我ならば良いですが、日常生活に支障がでる怪我、ましてや命に関わることだと一大事です)

こういった取り組みこそが正に「体育」であり、これらが「生きる力」を育むことに重要な要素なんだと学びました。

今思えば、上記で書いた公園での出来事に関して、その時、その保育士の方は、心の中では「危ない」「大丈夫かな」と思いながらも、その子の将来のためを思ってグっと歯を食いしばって堪えていたのだと思います。
(もちろん、生命に関わる危機であれば、その瞬間に手は出したと思います。)

教えるというよりは学ばせる

現場を見た時に思ったことは「生きる力」を育むために、保育士さんが実践で大切にしていることは「教えるというよりは学ばせる」ということ。

「教える」という行為はイメージ的には一方通行。(先生が主体)
「学ぶ」という行為は自分で考え・試し・覚えるといった自発的なもの。(子どもが主体)

そして、「学ぶ(学ばせる)」ことで大切なことは「見守る」ということ。

「生きる力」を育むにあたり、答えだけを教えてやっても意味がありません。代わりにやってあげることも意味がありません。

大切なのは「生きる術」を身に着けさせること。

そうでないと、親(自分)がいなくなったら、子どもは何もできなくなります。(すなわち、場合によっては命に関わることになります。)

「魚を捕ってあげれば、子供を1日食べさせることができる。しかし、魚の捕り方を教えてあげれば、子供は一生食べて行くことができる。」

という言葉があるように、正にこういった状態にしてあげることが保育(子育て)にとって大切なことだと思います。

親(保護者)の理解がとても重要。保育士は子育てのパートナー。

上記で述べた公園での事象に関して、これは親(保護者)の理解がとても重要だと思います。

保育園と家庭での子育ては別物と縦割りにしては意味がありません。

保育園・保育士は子育てのパートナーです。

子育て(保育)を行う中で、(仕事の都合上、どうしても日中は子育てができないので)日中は自分が子どもに対してできない保育(子育て)を保育園・保育士に補ってもらっているのであり、家庭⇔保育園において役割分担・連携をして、先生と親でバトンリレーをしているようなものと捉えるべきかなと自分は考えています。

では、次は「保育とは④ ~大人の価値観・子どもの価値観:子どもの無限の可能性を引きだすには~」いう内容で、自分が現場で見て学んだ内容について触れさせて頂きます。

※当件は全てに共通する答えでは無いと思っています。以下は、あくまで自分が関わった園長先生方と話した時の1つの考え(答えのようなもの)というだけです。

子どもの無限の可能性を引きだすためには

身・心・知を育む「体育」「知育」「徳育」とは

プロフィール(当メディアの運営者 兼 筆者)

保育園協会の園長から「ITで保育業界を変えたい」と相談を受け、保育士と協力し合い、保育以外の業務を自動化し、保育士が保育に専念できる環境を創り上げる。

そして、保育の現場で子ども達の個性=無限の可能性を育む環境に関る中で、大人社会でも同様のことはできないかと考え始めたところ、「こどもも大人も凸凹(違い)を認め合える社会」の実現を目指すNPO法人オトナノセナカに出会い参画する。

現在はNPO活動と並行して、フリーランスエンジニアとして自分が得意とする「IT」x「教育」x「子育て」の分野を中心に活動を開始する。様々な人がお互いを認めて高め合い、創造性が渦巻く楽しい世界を目指して。

プログラミングレッスン・教室、IT研修・教育、ITコンサル・マーケティング、IT(技術)相談・支援、システム開発(WEB・スマホ)、保育園IT化、子ども・子育て関連事業など